石上神宮の祭神の布都御魂大神は比古布都押之信命か。
竹内睦泰氏の古事記の邪馬台国 に比古布都押之信命の別名が布都御魂大神と書かれていた。
果たしてそうか。
比古布都押之信命は、第8代孝元天皇の皇子で武内宿禰の父または祖父にあたる。
(本の中では祖父と言ってる)
なぜ、比古布都押之信命の別名が布都御魂大神というかの理由は、
物部氏から祭祀権を貰い受けたからとか
布都御魂大神を降ろすことができたから言うのだが、
布都御魂大神を降ろすことができるから布都御魂大神というのは意味がわからない。
ある神を降ろすことができる人は、その神の名がつくのだろうか。
他に比古布都押之信命は、天皇と祭祀王の話しを唯一取り次いでいたというが、そういう人は代々いたはずで、比古布都押之信命が石上神宮の主祭神になる理由は見当たらない。
それに、そもそも時代が全然違う。
布都御魂は、武甕槌や神武東征や宇摩志麻治命のときに出てくる。
石上神宮にもそう書かれている。
竹内氏は、ご自身が武内宿禰と称するから、祖父になる比古布都押之信命を持ち上げたいのか。
少なくとも、この本だけでは比古布都押之信命が布都御魂大神という理由はわからない。
普通に考えれば布都御魂は、経津主神、もしくは建布都神でしょう。
その場合、同族が同族に国譲りを迫るという意味不明な話しになるんだけど・・・
日本書紀や古事記は、そういう文献だから。