松尾大社の摂社と末社

本社境内北末社

<三宮社> 祭神 玉依姫命(松尾七社)

<四大神社> 祭神 春若年神・夏高津日神・秋比売神・冬年神(松尾七社)

<滝御前> 祭神 罔象女神

本社境内南末社

<衣手社> 祭神 羽山戸神(大年の子。大山咋とは兄弟。松尾七社)

<一挙社> 祭神 一挙神

<金刀比羅社> 祭神 大物主神

<祖霊社>

本社境外摂社

<月読神社> 祭神 月読尊(松尾七社)

<櫟谷神社> 祭神 奥津島姫(松尾七社)

<宗像神社> 祭神 市杵島姫(松尾七社)

本社境外末社

<三宮神社> 祭神 玉依姫命・大山祇神・酒解神

<衣手神社> 祭神 玉依姫命・羽山戸神

<西七条御旅所> 祭神 松尾大神

<朱雀松尾總神社> 祭神 月読尊

松尾大社とは、古代より本社と摂末社の6社を併せて「松尾七社」と言われてきました。

したがって、境外摂社・境外末社と書いていますが、松尾大社のHPではこれらの摂末社も「境内のご案内」のページに掲載されていますので、境外というのは正しくないかもしれませんので、本社境外としています。

松尾大社の摂末社のマップ

赤色のマークは松尾七社です。

月読神社

本社から南へ300mのところに位置します。
月読神社の創建は、日本書紀によれば顕宗天皇の時代ということですので、相当古く、推測すると5世紀頃と思われます。
松尾大社の本社の社殿が造営されたのが701年ということですので、それより200年以上前に創建されたと思われます。

ただ、本社の方も社殿が造営される前から、松尾山への自然の信仰は行われていたと思われますので、こちらがいつから行われていたかは、おそらく誰にもわからないと思います。

祭神の月読尊

月読尊は日本書紀や古事記で三貴子として、天照大御神や素戔嗚尊と並び称される神です。
しかし、天照大御神や素戔嗚尊についての記述は非常に多いのに対して、月読尊についての記述は非常に少なく、謎の神とされています。
しかし、三貴子の一人としてあげられているわけですから、非常に重要な神と言えると思います。

こちらの月読神社の由緒では、壱岐や任那の話しが見えますので、その辺りの神なのかもしれません。
仮に任那(朝鮮半島南部)の神とするなら、日本書紀や古事記にほとんど記されていなくてもわかる気がします。
ただ、これはこちらの神社の話しから見ればだけですのでよくわかりません。

月読神社の境内

桂川の氾濫を避けるために856年に現在の地に遷されています。

本殿の右奥にある「月延石」は、神功皇后が三韓征伐の際に懐妊中のお腹にこの石を抱かれ、凱旋されてからこの石をとると安産されたということから「安産石」とも言われています。
この時にお生まれになられたお子様は、もちろん、第15代に即位された応神天皇です。

このような貴重な石を外で野ざらしにされ、しかも触れるというのですから驚きです。

櫟谷神社・宗像神社

本社から北に一駅離れたところに位置します。
渡月橋のすぐ南です。

櫟谷神社と宗像神社を合わせて祭られています。

創建は、社伝によれば天智天皇の七年(668)に筑紫の宗像から勧請されたものと伝えられているようです。

祭神

現在の祭神は、櫟谷神社が奥津島姫、宗像神社が市杵島姫としていますが、
過去の文献では反対であったり、事代主や田心姫であったりするようですので、
あまり定かではないようです。

松尾大社のHPでは、日本書紀の一書より同神と書かれています。
ただ、本社の祭神の中津島姫を市杵島姫としているので合わないように思います。

また、この二柱の祭神は並んで祭られていますので、同神というのも変ですし、
宗像三女神の内、二人だけが祭られているのは変なように思います。

あくまで想像ですが、事代主と市杵島姫なら合うように思います。