日本国は倭国の別種なりの意味は?旧唐書の日本伝より
旧唐書の日本伝の冒頭に「日本国は倭国の別種なり」と書かれている。
これはよく問題になるところで、なぜなら「別」というのは普通「違う」という意味で、そうすると「日本国は倭国の違う種」となる。
いや、しかし、これはやはり大問題だ。
なぜなら、日本は、
「万世一系」
のはずだ。
違う種であるはずがないのだ。
この時期がどういう時代かというと、藤原氏が台頭した時代、もしくは、もうすでに台頭した時代だ。
実に怪しい。
旧唐書にも、「中国は疑った。」と書かれている。
それは置いといたとして、この「別種」の意味について考えてみたい。
なぜなら、私がいつも参考にしている「倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本」では、「違う」と訳していないからだ。
「一種族」
と訳しているのだ。
おいおい、、、
違うと一種では意味が全然違うでしょう。
いつも参考にしてるけど、ここの部分だけは驚いたわ。
しかし、なぜ「一種」と訳すのだろうか。
考えてみたところ、
新唐書の百済のところでも「百済は扶余の別種なり」と書かれていて、当然ここの訳も「一種族」としている。
この百済王の名前を見ると「扶余璋」であったり、「扶余豊」と扶余の文字が見える。
もし、百済と扶余が違う種ならば、これは変だ。
同じ種か一種であるから、百済王の名に扶余が入るのだと思う。
したがって、この本の訳は一理ある。
ただ、どちらが正しいかはわからない。
どちらかで歴史の捉え方が全然違ってくる。
難しいところだ。