古代の朝鮮国家は朝鮮半島ではなかった?
邪馬台国=朝鮮半島はあり得ないからの続き
隋書 百済伝
「其南、海行三月有耽牟羅國」
ここを著者は、「其」とは百済のことで
「百済の南に海で行くこと三月のところに
耽牟羅國(済州島)あり。」と読むから、
したがって、百済は済州島から三月離れた
遼東半島の辺りが正しいという。
確かにここだけ見れば正しい。
(海行は海を渡ることで、
陸伝いに船で行くことは水行ではないかと思うが・・・)
しかし、そのあとすぐに
「附庸於百濟」(百済に付属する)と
書かれている。
三月も離れたところに何で属国があるの。
済州島が百済の属国なら
朝鮮半島一帯が百済の領土でなければおかしいが
倭国の領土としているから成り立たない。
また、そのあとすぐに
「百濟自西行三日、至貊國千餘里云」
(百済から西へ行くこと三日、貊國に至る。)と
書かれている。
つまり、最初の三月は三日の誤りと見れば良い。
この辺りは、かんたんにわかることで
なぜ、無視をするのかわからない。
17世紀のポルトガル人の地図について
17世紀のポルトガル人の地図を持ち出して
これぐらいの認識しかなかったといい、
そして、私の説と合うと言う。
しかし、私はポルトガル人のというところで
はあ?と思った。
何でポルトガル人の地図なの。
17世紀までに中国人が書いた地図は、
ある程度あるでしょう。
もちろん、おかしなところはあるけど、
この地図よりは大分まし。
自分に都合の良いものを持って来られてもね〜。
後漢書鮮卑伝より
於是東擊倭人國
鮮卑族が東の倭人国へ攻め入ったと
書かれている。
したがって、倭国=日本列島というのはおかしいという。
確かに、ここは重要なのだが、
日本との関係は置いといて、
著者の説の鮮卑と倭国の位置関係を
「若干のズレ」としている。
私には、これが若干のズレには思えないんだけどね。
東ではなく南東方面に見えるよ。
まとめ
実質50ページぐらいしか読んでないけど、
疑問点だらけで、
これ以上読む意味はないと思った。
私は、50冊ぐらい古代史の本を読んでるけど、
この方の名前や説を聞いた記憶がない。
もし、その説に否定的な見解であっても
論じるに値すれば、どこかで述べられてると思う。
しかし、そうでもないので、そういうことなんだと思う。
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